宮城へ

5月も終わり近くのある日夜勤の休憩時間中にメールチェックすると、
宮城の従姉妹から伯母が入院したとメールが届いていた。
帰宅後電話で状況確認すると、5月の始めから遠方の病院に入院していて、
数日前に近くの病院に転院したという。
今後退院した時には在宅酸素が必要になるだろうとのこと。
介護保険の申請や、訪問看護の利用など、病院の退院支援の窓口や
地域の福祉サービス窓口を活用すること、
震災直後でこういった窓口も混乱している可能性があるので、
はやめはやめに動くようアドバイスする。

近いうちにお見舞いにいって詳しい状況を確かめるようかな、
と思っていたら、その日の夕方、従姉妹から再度電話が。
状態が急変し、ここ2~3日で危ないかもしれないと。
他の親戚にも状況を伝える電話をする。
翌日は母の受診日だったのと、遠いし震災後で
詳しい交通事情がわからないこともあって、
私が一人で宮城にいくことにした。
夜勤明けの休みが1日しかなかったが、
状況次第では日帰りが無理かもしれないと思い、
上司に電話して掛け合い、休みをもう一日もらえることになった。
ネットで東北新幹線の時刻表をしらべ、駅に行く。
幸い目当ての便に空席があり、チケットを購入することができた。

帰宅して荷造り。
荷物は最低限で、でも余震とかで足止めを食ってもなんとかなる
程度のものはそろえて、走り回れる服装でと頭をめぐらせる。
おかげで夜勤明けなのにあまり睡眠をとれないまま、
翌朝宮城に向かった。

新幹線の車中からみた福島~宮城は、内陸部を走るせいか、
ところどころ屋根にかかったブルーシートをみかける程度で
あまり被害があったようにはみえなかった。
新幹線の車体に描かれた「がんばろう東北」のロゴと、
仙台駅近くでみかけた仮設住宅が、
震災があったことを伝える程度だ。

降り立った仙台駅にしてもそうだった。
「がんばろう」等々のポスター類のほかは
以前とかわらない大きな地方都市の賑わいがあった。
仙台駅まで従姉妹夫婦が車で迎えにきてくれたので、
待ち合わせ場所の出口に向かう。
駅の出口周辺も震災後とは思えない賑わいだった。
阪神大震災時の神戸三宮の駅周辺の記憶が
今も鮮明に残る私にとっては、
正直拍子抜けするほどの普通さだった。

途中昼食をとって、伯母の入院する病院へ向かう。
伯母は気管内挿管まではいかないまでも、
呼吸補助の器械を装着され、意識レベルも落ちた状態で
横たわっていた。
装着されている器械類や、点滴類、尿の流出状態やらから
おおよその状況を推測する。
いつも、こういうときの職業根性に我ながら呆れてしまうけど、
素人の親戚の面々にしてみれば、それが私の頼りになるところらしい。

その後従姉妹宅に行く。
従姉妹は家でピアノ教室をしており、午後のレッスンがあるため、
従姉妹の夫と時間つぶしのドライブとなった。

従姉妹の夫は道路工事関係の仕事をしており、
おかげで震災後は仕事に忙殺され休みもままならない状態だった。
この日は伯母の病状悪化と、自身も体調を崩していたこともあり、
年休をとったとのことだったが、
運転中もひきっきりなしにケータイへ職場からの電話が入る。
震災後臨時雇用された職員へ指示を与えたり、あれやこれや・・・

そしてせっかく宮城に来たのだからいってみようかということになり、
津波被害にあった閖上に向かう。
以前電話で、従姉妹が自転車で津波後の閖上に行った時の話を聞いていたので
なんとなく状況は想像していたけれど・・・

阪神の震災時西宮市に行った時のように
川ひとつ渡ったら風景が激変したというのとは
違ってはいたが・・・

車で走っていると、道端に船が置いてある?のが見えた。
ある家のフェンスが異様に曲がった状態になっている。
どんどん車が進んでいくと、水が干上がった田んぼみたいな空き地に
無造作に置いてある?車、そんな風景が増えてきた。

道路脇の植え込みの木の下の方が赤茶けて枯れかかって見える。
草もない乾ききったところに点在する家。
屋根は無事なようでも、なんとか柱で支えられている
地面から1メートル上ぐらいまで、壁がぶち抜けている家、
遠くに見える瓦礫の山、
歯が欠けたように残る松林。
従姉妹の夫によれば、本当ならここから海岸線はみえないはずなのだという。

まだまだ途中までしか一般車両は通行できないようになっていたので、
戻る道をたどる。
また風景がだんだんと普通の町並みに戻っていく。

道端に船が置いてあるんじゃない、そこまで流されてきたのだ。
田んぼみたいな空き地に車が置いてあるんじゃなくて、
そこにあったはずの家が流れ、
車もそこに流れついただけなのだ、おそらくは。

途中の道で完成したばかりらしい仮設住宅のそばを通り過ぎる。
よく見ると何箇所かで道路の脇に「遺体安置所」の看板が立っている。

道路脇に倒壊しそうな2階立ての家があった。
家主が退去を拒否して住み続けているそうだ。
被害が出ないように、従姉妹の夫の会社が請け負って
監視を続けている。
会社側で注意を喚起する看板を立てていた。
この場合、自治体の権限で強制退去させることはできないという。
万が一倒壊して脇の道路を走行中の車や人に被害があった場合は
家主の責任になる。
ただし、会社で立てた看板で何事か起きた場合は会社の責任になるとのこと。
自治体は強制力もないけど、責任をとる義務もないということか。

この日は従姉妹宅へ一泊。
従姉妹の子供たちに数年ぶり、長男にいたっては
10数年ぶりに再開する。
みんな最後に会ったのが小学生の時だったので、
それぞれ大学生・高校生・中学生になった姿をみて、
本当にみんな無事でよかったと思った。
夕食は歩いて近くのファミレスへ。
従姉妹宅周辺は同じ名取市でも、
閖上とは違って何事もなかったかのようだった。

翌日名取駅から帰路につく。
駅まで従姉妹夫婦に車で送ってもらったのだが、
途中従姉妹の夫が、駅周辺でどうも地盤が下がっている気がすると言っていた。
液状化現象は埋め立て地帯に起こるものだと単純に思っていたが、
普通の町でも水道管を埋め込む時に管の周囲に使った砂により
液状化が起こる場合があるそうだ。

新幹線の時間待ちで駅ビルでお買い物をする。
駅ビルは食堂街も一般店舗も以前と変わりなく賑わっていた。
お土産の定番の笹かまぼこ、白松がモナカのミニを買い込む。
仙台にきたらかならず駅弁はこれ、のはらこめしを買って
新幹線に乗り込んだ。
幸いなことに滞在中余震は2日目の朝に一度起きたぐらいで、
行き帰りの新幹線のダイヤの乱れもなくスムーズに帰ってくることができた。

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